恋せよベイビー



「あ〜、恋がしてぇなぁ……」
 テレビを見ていた兄ちゃんが突然ボソリと呟いた。
「は? 急に何? この暑さで遂に頭に何か涌いた?」
 アタシは頼まれた梨を剥きながら兄ちゃんの後頭部を見つめる。
「いや、こういうドラマ見てるとさ、何か恋人がいるのってイイかもなぁって思えてきてな」
 テレビでは一昔前に流行ったドラマの再放送をやっていた。
 アタシは、そのドラマをリアルタイムでも今も全く見てないので内容は分からないが、ベッドの中で主人公の男とヒロインらしい女が随分な綺麗事の愛を囁きながらセックスをしてる。
「何だ、エッチがしたいって事?」
 剥き終わった梨を兄ちゃんに手渡しながら、アタシは努めて気楽に尋ねた。
「ったく、お前はいつも短絡的だよな。俺は恋がしたいの。恋人とイチャイチャしたり愛を囁きあったりしたいんだよ。エッチなんて今はする気も起きねーって」
 シャクっというイイ音を響かせながら梨を齧った兄ちゃんの目は真剣に画面を見つめている。
「恋ねぇ……お手軽な所でアタシなんか相手にどう?」
 皿に載せた梨に自分も手を伸ばしながら、アタシは自分の手が震えてるのに気付いた。
「ヤダね。俺は報われる恋がしたいの。皆に祝福されるようなぁさー……って、俺と恋に落ちて幸せになれる訳がないか……」
 兄ちゃんがテレビの画面から顔を背けるようにアタシの方に向き直る。
「何言ってるの! 兄ちゃんみたいな俗に言う3kは女の子の憧れだから誰だって幸せでしょ?」
 声の震えを隠せないアタシは、せめてしっかりと兄ちゃんを見つめた。
「俺の寿命が後、3ヶ月でも?」
 兄ちゃんがベッド横のテーブルに置いた2つ目の梨に手を伸ばす。
「アタシなら、幸せだよ」
 兄ちゃんが微妙な顔になった。アタシは本気だけど、もしかして、ただの同情だと思われたのだろうか。
「……お前とじゃ、両思いでも誰にも祝福されないし、後で、絶対、お前泣くじゃん」
 兄ちゃんは、3つ目の梨を飲み込んだ後、小さな声で振り絞るように答えてきた。
「そりゃ、兄ちゃんだもん。例え、恋人じゃなくたって泣くよ」
 兄ちゃんがコレから近いうちに死んでしまう事を考えては、今だって本当は泣きたい気分である。
「まぁ、イイや……コッチ上がれよ。久し振りに耳掃除でもしてくれ」
 兄ちゃんは照れたように鼻の頭を掻いて、ベッドの上であぐらをかいた。
「この間、やってあげたらくすぐったいとか言って嫌がったじゃん」
 アタシは棚の中から耳掻きを取り出し、すぐにベッドの上に上がる。
「あの時は、あの時。だって、まだ性欲があったからムラムラしたんだよ」
 アタシの膝枕と耳掻きの動きに気持ち良さそうに兄ちゃんが微笑んでいた。
「今は襲う気がないって事?」
 不器用なアタシは極力気を配りながら兄ちゃんの耳の中を弄くる。
「残念ながらな」
 兄ちゃんがアタシの膝の方に向き直りながら笑った。
「何で残念なのよ……」
 アタシはわざと乱暴に耳掻きを扱う。
「だって、病院で俺の世話するだけなのに、こんなミニスカ……期待してたんだろ? 俺が、もし、溜まってたら襲ってもらえるかも……ってさ?」
 兄ちゃんがいやらしい手つきで腿を撫でた。
 図星なのが恥かしくて、アタシは黙って耳掻きを動かす。

「あ〜死にたくねぇなぁ……」
 耳掻きが終わった後も、膝枕したままの兄ちゃんの頭を撫でていると、突然、呟かれた。
「さっきは恋がしたいじゃなかったっけ?」
 兄ちゃんが随分と気楽な声だったのでアタシも冗談のような口調で返す。
「いやいや、恋はしてるだろ。何しろ恋人に膝枕してもらってる訳ですし」
 兄ちゃんがアタシをしっかりと見つめてきたのでアタシの顔はみるみる赤くなってきた。
「恋人がいて、まぁ、今、イチャイチャもしてるとみなすなら、次は愛の囁き?」
 兄ちゃんが言っていた言葉を思い出しながら尋ねる。
「そうだな……でも、俺、好きな子に愛なんて囁かれたら幸せすぎて昇天するかもな」
 兄ちゃんは照れた赤い顔でアタシを好きな子と呼んだ。
「アタシはしつこいから、簡単には死なせないわよ。長生きしてね、愛しのダーリン?」
 頬にチュッとキスをすると、兄ちゃんはアタシの首に腕をまわして向こうから唇にキスを返してくる。
「ハニーの為に出来る限り頑張ります」
 唇を離した兄ちゃんが、ニッコリと笑った。
 アタシは、目に浮かんだ涙があふれて止まらなかったけど、つられるように笑う。
「約束だからね」
 アタシ達は証文代わりのキスを繰り返した。


 兄ちゃんは約束したおかげか予定よりも長生きしてくれている。
「もういいよ、最期までアリガト……」
 手を握って、辛そうな兄ちゃんに声をかけると、兄ちゃんがゆっくりと目を開いた。
「……勝手に引導を……渡すな……、俺が……まだ死にたくないんだよ……」
 久し振りに見る兄ちゃんの瞳。
 やせ細って、こんなに弱々しい声で、今にも死にそうなのに、兄ちゃんの目はしっかりと生きていた。
「恋せよベイビー……」
 兄ちゃんがアタシの手を引いた気がしたので、耳を口に近づけると、アタシだけに聞こえる小さな声で囁かれる。
 兄ちゃんは、その後、眠るように意識を失い、そのまま安らかに死んでしまった。
「死にたくないなんて、言ったくせに、微笑んでるな……」
「本当に、まるで、思い残す事なんてないって顔ね……」
 父さんと母さんが、お医者様の臨終宣告の後、慰めあうように言葉を発する。
 多分、兄ちゃんはアタシに新しい恋を見つけろと言って、満足したのだ。
『自分勝手な奴。自分だけ、完結してんじゃないわよ』
 アタシは溢れる涙を拭いもせず、心の中で何度も兄ちゃんをなじる。
 だけど、どんなに毒づいても兄ちゃんの事が一番大好きな気持ちが止まらなかった。


 あっという間に季節は移り変わって、兄ちゃんの大好きだった梨が今年も店頭に並び始める。
 兄ちゃんの遺言なだけに実行してあげたいと思ってはいるけど、アタシはマダマダ新しいダーリンを見つけられそうになかった。



あとがき
確か2ちゃんねるに投下したのが初出だったと思います。
何か言葉遣いがこっぱずかしいですが、まあ、それが俺の恋愛の実力なのでしょう。
非エロでも好きな事をそれなりに詰めたので、表現はともかく好きな作品ではあります。