弟の彼女



「おい、結衣……彰の部屋は隣で、ここは俺の部屋なんだがな……」
 久々に定時に仕事が終わって、たまにはのんびりと部屋で過ごそうと扉を開けると、弟の彼女がベッドにゴロリと転がっていた。
「イイの! 彰なんか知らないの!」
 結衣が頬をまんまるに膨らましてプイッとそっぽを向く。制服のままでベッドなんかに寝転がって、皺になるんじゃないかと要らん心配が頭に浮かんだが、自己責任だろうと小言みたいな言葉は飲み込んだ。
「何だ、また喧嘩か? お前ら、本当に喧嘩大好きだな」
 苦笑しながらベッドの縁に腰を掛けると、結衣が俺に持たれかかるように背中をくっつけてくる。
「別に喧嘩なんか好きじゃないもん。私は彰と仲良くしたいのに、アイツ子供なんだもん! あ〜あ、啓兄が彼氏だったら良かったのになぁ」
 俺にしてみれば彰も結衣も、どっちが本当の弟妹だか分からない位の間柄だ。この間まで舌足らずな言葉を喋ってたのが、まぁよく一丁前な事を言うようになったもんだと笑えてしまう。
「俺は、お前みたいなガキんちょお断りだよ」
 膨れっ面の御機嫌を少しでも取ろうと、振り返って結衣の頭をクシャクシャと撫でた。
「もー、啓兄ってばすぐ子供扱いするんだから!」
 しかし、自分を大人と思いたい結衣は頭を撫でられるのを気に入らなかったようで、不機嫌な顔に拍車が掛かる。
「悪かったって、あんまり可愛い頭だったんでな。ほら、髪型がいつもと違うしさ。……で、何で喧嘩したんだ?」
 先日、俺が会った時には確かに結衣の髪は腰に掛かるほどだった。それが肩までのオカッパになって、まるで小さかった頃の結衣に戻ったみたいで可愛いと思ったのは事実である。だが、それを口にしてはより怒るだろうと、その辺は適当に誤魔化して別の話題も振ってみた。
「それよ! まさに私が怒ってるのはそこなのよ! ったく、何で彰はそれが分からないのかしら。こんなにバッサリ髪を切ったってのに!」
 結衣が俺の口を指差し、言葉を確認するように怒鳴る。そんな結衣の怒鳴り声に反応するように隣の部屋からゴソゴソという不審な音が響いた。恐らく、彰がこちらの様子でも伺っているのだろう。
「そうか、髪を切ったのに気付かなくて結衣は怒ってたのか……まぁ、男は女の髪型には疎いもんだから諦めてやれよ」
 彰の鈍感な割に小心者な行動と些細な事への結衣の大きな怒りに思わず苦笑いが浮かんだ。
「でも、この髪、彰が昔みたいな短いのがイイって言ったから切ったのになぁ……」
 結衣がドサリと音を立ててベッドに再び転がる。その衝撃で結衣の胸ポケットに入っていた携帯もコロリと転がりだした。
「彰のために切ったのに、気付いてくれないってのは確かに悔しいよな……」
 隣で聞き耳をたてているだろう彰を少しからかってやるつもりで、結衣の携帯を拾い上げる。
「ちょ、啓兄、何、触ってんのよ!」
 でたらめに携帯のボタンを押しまくる俺に結衣が叫んだ。
「ん? 何処って色々…だよ」
 なるべく意地悪く笑って、結衣ではなく不甲斐ない弟を煽ってやる。
「やめて、やめてってば!」
 結衣は携帯を取り返そうと必死に掴みかかってくるが、それでも俺は構わず携帯のボタンを押しまくった。
「イイだろ、これ位。減るもんじゃないし気にするなって……」
 俺の行動に、面白いほど結衣が良い反応で言葉を発するのがおかしくて勝手に笑いがこみあげる。 
「減らなくても、そんなにされたら壊れちゃう!」
 結衣の泣きそうな声に大きな音を立てて隣の部屋の扉が開かれ、続いて俺の部屋のドアが乱暴に開かれた。
「兄貴、てめぇ俺の結衣に何してんだ!」
「え? 彰、何? 私がどうしたの?」
 血相をかえて乗り込んできた彰に、状況を飲み込めない結衣がキョトンとした顔で俺と奴を交互に見る。
「お迎え、ご苦労さん! ほら、結衣を持ってけ」
 携帯と結衣を彰に向かってまとめて差し出すと、彰はひったくるように二つを背中の後ろに隠した。
「……兄貴、だましたのか」
 ムッとした顔で俺を睨む彰に、ニヤリと微笑む。
「お前が勝手に勘違いしたんだろ? ほら、ちゃんと仲直りして俺の部屋から2人とも出てけ。俺は久々の定時帰りなんだからくつろぎたいんだ」
 俺の言葉に気まずそうに向き合った2人が、お互いに照れ笑いを浮かべた。
「結衣、俺が悪かった。……髪切ったの気付いてたんだけど……何か俺の言ったこと覚えてて、そうしてくれたのが嬉しいのと恥ずかしいので、ちゃんと見れなくて、それなのに褒めるのもおかしいし、そう思ってたら、どんどん時間経って言い出せなくて……」
 頭をかきながら照れくさそうに彰が結衣の顔を見つめる。
「ううん、私こそ髪型に気付いてくれない位のことに怒っちゃってゴメン。俺の結衣って言ってくれて嬉しかった」
 照れなのか嬉しさなのか判別のつかない赤い顔をした結衣は、彰の手に自分の手を重ねるとこちらの事などお構い無しに部屋を出て行った。
「何か、急に静かになったな。しかし、アイツらが色恋沙汰なんて…まぁ高校生にもなりゃ色気づくのも当たり前か……」
 胸ポケットの煙草を取り出し、ゆっくりとくゆらせる。
 部屋に広がる紫煙とともに、何となく寂しいような、切ないような、侘しい気持ちが広がった。
 もしかしてこれは、娘に彼氏の出来た父親に似た心境なのだろうか?
 幾ら妹同然で面倒見てきた女の子だからといって、弟の彼女にそういう気持ちを抱くのは何だか妙な感じではある。
 でも、だからといって、この胸の小さな疼きを恋と思い込むには、俺は少々大人になり過ぎていた。


あとがき
『携帯』『高校生』『よく喧嘩するカップル』のお題を貰って書いたショートショートです。
かなり古い物なので、ところどころ表現とかが読み返していて恥ずかしいですね。
というか、過去の非エロ作品はエロ作品以上に読み返していて恥ずかしくなるのですが、それは俺だけでしょうか?