理想の彼女の育て方『海水浴へ行こう』




 由生の誕生日から2週間が経ち、亜姫はすっかり橋本家の日常生活に馴染んでいた。
 気だるいのんびりとした午後の時間。クーラーをかけていても周囲から聞こえてくるセミの喧しい声や、窓から入る眩しく熱い太陽光で、家の中には夏の空気が満ちていた。
母「気温はともかくとして、何だか雰囲気が暑いわねぇ……」
 たまたま休みであった凛子は、外を眺めながらパタリパタリとうちわを扇いで夏を少しでも和らげようとしている。
 ボンヤリとアイスを咥えてソファーにだれている由生が、凛子の声に頷いた。
由生「そういや、そんなくっついてて亜姫は暑くないの?」
 怠惰にもソファーからアイス棒をゴミ箱に放り投げた由生は、ピッタリと自分に寄り添っている亜姫に不思議そうに尋ねる。
亜姫「由生の体温は認識してるけど、こうしてる方が何か落ち着くんだよね。由生は暑いの? 暑いなら離れるけど……」
 ソファーの下で由生の腕を掴まえている亜姫が、寂しそうに由生の様子を窺った。
由生「いや、クーラーかかってるし別にイイよ。パソコンとかって熱くなり過ぎると調子悪くなるから、亜姫は暑いのとか平気なのかなって思っただけだしね」
 室温は環境を意識した28℃で、外から漂ってくる雰囲気は暑いものの、本当に暑い訳ではない。由生は亜姫を傍に寄せて微笑んだ。
亜姫「亜姫の事を心配してくれたの? へへ、大丈夫。亜姫は30℃どころか300℃を超えたって元気でいられるんだから」
母「確かに亜姫ちゃんの基礎は平気だけど、300℃ともなると三助さんが作ってくれた皮膚や筋組織がもたないと思うわよ?」
 ニッコリ笑って強さを自慢する亜姫に、凛子が心配そうに助言する。
亜姫「あ、そっか。由生は亜姫が金属ボディになっても平気?」
 凛子の言葉に頷いた亜姫が、小首を傾げた可愛らしい動作で辛い質問をぶつけた。
由生「俺はメカフェチとかじゃないんで、それはちょっと……。それに、亜姫をわざわざ火の中に放り込む事もないし300℃とか考えなくてイイから。亜姫はこのまんまがイイよ」
 金属ボディの亜姫を想像して表情を強張らせた由生は、ちょっと困ったような顔でソファーの上から亜姫を抱きしめる。
亜姫「亜姫もねぇ。由生のそのまんまが好きだよ〜」
 背中から伸ばされた由生の腕に手をのせ、亜姫が嬉しそうに笑った。
母「全く、すっかり仲良しさんねぇ。今日は三助さんは仕事だし、母さん1人で寂しいわぁ」
由生「別にそんな文句言うほどの事もないだろ。父さんや母さんほどベタベタとイチャ付いてる訳じゃないんだしさ」
 溜息を付いた母に向かって、由生が普段の両親よりはマシだと主張する。
母「まぁ、その辺を言われると同意せざる得ないわね」
由生「だろ」
 亜姫が来てから随分と余裕をもって両親を見られるようになった由生は、母に向かって笑ってみせた。
亜姫「ねえ、凛子さん。亜姫達って、ラブラブ?」
 他人からどう見えるのかが気になるらしい亜姫が、凛子に向かって尋ねる。
母「そうね。とってもラブラブに見えるわよ。だけどアナタ達、何処もデートとか出掛けてないんじゃないの?」
 悩む事もなく亜姫の問い掛けに答えた凛子だったが、ふと行動範囲の狭さに気付いて眉をひそめた。
由生「デート? 散歩くらいなら一応、出掛けてはみたけど?」
母「もうちょい、ちゃんと遠出したら? 由生だって夏休みで暇なんでしょ? イイ若者が引き篭もってばかりじゃ不健全よ」
 地元デートしかしていない出不精の息子に凛子が溜息をつく。
由生「遠出? この暑いのにどっか行くのも大変じゃん」
 由生の視線が真夏独特の熱気で揺らめく窓の外に向けられた。
亜姫「亜姫は由生といられれば何処でもイイよ」
母「全く、この2人は……積極性に欠けるんだから。こうやって暑いからこそ、行くと楽しい場所もあるんじゃないの?」
 怠惰な息子と、それに同調する亜姫に凛子が渋い顔を見せる。
由生「暑い……夏だからこその遊びか。泳ぎに行くとか、花火とかイイかもな」
 クーラーの無い所へ行くのを億劫に思っていた由生であったが、夏の風物を思い浮かべて考えを改めた。
母「そうそう、やっぱり夏を楽しむデートをしなきゃね。……そうだ。分かってると思うけど、夜7時の門限を破るようなお出掛けは許さないわよ」
 凛子は急に乗り気になった息子に嬉しそうな表情になったが、約束について釘を刺すのも忘れない。
由生「特別に許すとかは無いの?」
母「無いわ。特別を許しているうちに約束が意味の無いものになってしまうもの」
 凛子は由生のお願いの視線に負ける事なく、融通のない約束こそが正しいのだと言い切った。
由生「厳しいなぁ。まぁでも、朝早いのはイイんだよね」
母「常識の範囲内で頼むわよ」
 既に脳内で計画を練り始めている由生に凛子が苦笑する。
由生「分かってるって。……うーん、日帰りで楽しめる夏のイベント……プールは人出が多すぎるから……。よし、海へ行ってみるかな」
亜姫「海? 亜姫、まだ海見た事ないから嬉しい!」
 しばし考え込んだ由生の決定に亜姫が楽しそうに声を弾ませた。
母「海は良いけど、水着あるの?」
由生「あ、そういやないな」
母「じゃ、今日は私と亜姫ちゃんで水着でも選びに行こうかしら」
 テーブルを離れて立ち上がった凛子が、亜姫をショッピングに誘う。
亜姫「亜姫、可愛いのがイイなぁ」
 亜姫は由生から離れて凛子の腕にじゃれついた。
由生「えー、何で母さんが亜姫の水着選ぶんだよ?」
 亜姫と2人、水着を選びに出掛けるのも悪くないと考えていた由生は、母に予定を取られて拗ねた口調で異議を唱える。
母「水着を選ぶのも重要だけど、海で泳ぐなら亜姫ちゃんのメンテナンスを先にしたいなぁと思ってね。ちょっと研究所まで出掛けたいのよ」
由生「研究所でメンテ? 亜姫って塩水に弱かったの?」
亜姫「え? 亜姫、別にダメなものなんて無いよ。火の中も水の中も何処だって行けるもん」
 表情を曇らせる凛子に向かって、亜姫が何の問題も無いはずなのにと訴えた。
母「弱くないけど、現在、亜姫ちゃんの体重は……」
亜姫「あー、凛子さん言っちゃダメー!」
 凛子が答えを言う前に亜姫が大声で言葉を遮る。
母「ゴメンゴメン。女の子の体重なんて秘密よね。とにかく、普通の子より重めでしょ。体積とかと照らし合わせると密度がかなり高めだから、今のままじゃカナヅチで泳げないの」
 凛子は慌てる亜姫に謝り、微妙に言葉を濁してメンテの必要性を説明した。
由生「練習しても泳げないんじゃ、海の面白さは半減だよな」
母「でしょ。だから、ちょっとパーツを替えて、泳ぎやすくしてくるわ」
由生「だけど、母さん。せっかく久々に休みだったのに研究所行くなんて面倒じゃないの?」
母「由生と亜姫ちゃんの楽しい海水浴のためだもの。どうって事ないわ」
 任せなさいと言うように、凛子がドンと胸を叩いてみせる。
亜姫「凛子さん、ありがとう!」
由生「そう言ってくれるなら、亜姫のメンテよろしく頼むな。でも……」
亜姫「でも、どうしたの由生?」
由生「いや、最初から亜姫の事を軽く作れるなら、そうやって軽くしておけば良かったんじゃないかなって思ってさ」
 当然といえば当然の疑問を由生は凛子にぶつけた。
母「ああ、それ。やっぱりせっかく亜姫ちゃんを作るならって、普通に2人が暮らしていれば関係ないモノまで一杯積んじゃったから重くなっちゃったのよ」
 凛子は笑いながら自分のミスを口にする。
由生「普通には関係ないものって?」
母「ガトリングとか、追尾式ミサイルとかの兵器部分」
 由生の問いに、凛子はサラリと恐ろしい事を答えた。
由生「息子の彼女に何を積んでるんだよ!」
 由生は凛子の非常識さに声を荒げる。
母「あら、もし由生が浮気したりしたら、とっても重要になるものでしょ?」
 しかし、凛子は事の重大性を認識していないのか、悪びれる様子も無く必要な物だと笑った。
亜姫「その通りだと思いまーす」
 凛子の言葉に、亜姫も手をあげて全面的に同意を示す。
由生「賛同するな亜姫! 痴情のもつれで、街潰すようなもんを発動させてどうすんだよ」
 由生は立ち上がると、凛子の傍に寄る亜姫を自分の身へ寄せ、意識を改めさせようと努めた。
母「大丈夫よぅ。私の作った亜姫ちゃんが的外す訳ないじゃない。戦時中に作った子達だって、皆、百発百中の精度で活躍してたんだから」
 凛子は持っていたうちわをパタパタと由生に向かって扇ぎながら心配ないと笑い続ける。
由生「今は、戦時中じゃないし、亜姫は俺の彼女なんだろ? 兵器部分は即刻、削いでくれよな」
 由生は左腕に亜姫を抱きしめながら、右人差し指を母の顔に向けて念を押しした。
亜姫「ちぇーっ、勿体無い」
由生「勿体無くない! 危ないだろっ!」
 亜姫が口を尖らせたのを由生がブンブンと首を振って否定する。
母「危なくなんか無いわよ。だって、由生が悪い事しなければ使わないんだもの」
由生「悪い事なんぞしないから、最初から俺を信用して付けないでくれよな」
 凛子の影響を受けて、常識外れな思考を身につけ始めた亜姫に、由生が小さく溜め息をついた。


 何処までも広がる青い海と境目の分からないほど青い空がキラキラと太陽を照り返していた。
 お盆を過ぎたせいか海水浴場は人出も少なく、クラゲが多いせいか泳いでいる人もまばらである。しかし、そんな海の中をスイスイと泳ぎ回って楽しむ影が一つあった。
 青色の中に揺らめく、淡いオレンジ色。ホルター水着のリボンが熱帯魚のようにヒラヒラと水中で舞う。首と背中と左右の腰で踊る鮮やかなリボンは、太陽の光を取り入れない白い肌を際立たせるように彩っていた。
亜姫「由生〜! こっち来て! マメアジがカイアシ類のノープリウス幼生をバクバク食べてるの面白いよ〜」
 人魚のごとく優雅な動きで海に潜っていた亜姫が、息継ぎ動作を擬態しながら水面に顔を出す。砂浜にひいたシートに転がった由生を視認した亜姫は、満面の笑みを浮かべて手を振った。
 普通の人間だったら磯の小魚が動物性プランクトンを食べている瞬間なんて見えないもんだと思いつつも、突っ込む気力も無く由生は適当に手を振り返す。
 朝早くから亜姫を乗せてバイクで遠出した上に、疲れ知らずの彼女に付き合っていた由生は、もうどうにも眠くて仕方なかった。
亜姫「もう、由生ってばせっかく海に来たのに寝ちゃうの?」
 海からあがり、由生の横へやってきた亜姫がプウッと頬を膨らませた。
由生「ちょっと………そうだな、1時間だけでイイから仮眠取らせてくれ。帰りも俺がバイク運転するんだし、寝不足じゃ危ないだろ」
亜姫「それもそうか。仕方ないな。じゃ、膝枕をしてあげましょう」
 シートの上に正座した亜姫が、ポンポンと膝を叩く。
由生「………アリガト」
 由生は赤くなりながら亜姫の膝に頭を乗せた。
亜姫「ねぇ、イイ眺め?」
 海の照り返しを避けるように腹の方に顔を向けて転がった由生に、亜姫がクスクスと笑いながら尋ねる。
由生「な! ………まぁな」
 水着姿の亜姫の膝に乗っている事を意識させられ、由生が慌てた。由生が視線を下に向ければデルタが、上に向ければ乳房の膨らみが目に映るポジションである。 
 凛子と選んできたホルタービキニのせいで、真っ直ぐに亜姫の方へ視線を向ければ形の良いヘソが由生の眼前に迫っていた。
亜姫「エッチの時みたいに早くなってる由生の心臓の音が凄く伝わってくるよ」
 亜姫が由生の耳元に唇を寄せて囁く。
由生「あんまりそういう事を外で言わない!」
 由生は亜姫の頭を抱き寄せ、小さいが強い口調でたしなめた。
亜姫「どうして? 他の人に聞こえないよう、由生だけにしか聞こえるように言ってるのに」
 亜姫は何故、由生が怒るのかと不機嫌な顔になる。
由生「だって、したくなるだろ………」
 由生は困ったような顔で亜姫だけに聞こえるよう小さな声で呟いた。
亜姫「そっか、外じゃ出来る所は少ないもんね。あ、でも、露出プレイとかってのもあるんじゃないの?」
由生「は? ど、何処でそんな言葉を覚えたんだよ」
 言葉の意味を理解しているのかも疑わしいほどの軽い提案に、由生が目を丸くする。
亜姫「何処で……っていうか、最初から知ってるよ?」
 亜姫は何かマズイ事をしたのだろうかと、少しだけ表情を曇らせた。
由生「母さんは、本当にろくな事インプットしてないんだから……せっかく技術あるくせに使い方が本当に間違ってるよ」
亜姫「由生は亜姫が凛子さんの真似すると怒りやすいよね……イケナイ事なの?」
 ムスッとした顔で溜め息をつく由生に、亜姫が苦笑を浮かべる。
由生「いや、悪い事ばかりじゃないんだけど……常識が少なめな振る舞いが、あの人は多いからね」
亜姫「由生は常識が好きなの?」
由生「好きって訳じゃないけど、俺も亜姫も常識とか法律とか……後は約束とかに逆らうと暮らしていけなくなると思うよ」
 由生は亜姫の膝の上で彼女の顔を見上げ、寂しそうに笑った。
亜姫「約束って、三助さんと凛子さんが言ってた夜は7時までに帰れとかのアレ?」
由生「そう、アレ。普通の家から見たらバカらしい決まりだけど、我が家には重大な事なんだよ」
 由生は極めて真面目な調子で亜姫に言い聞かせる。
亜姫「ふーん。そうだったんだ。じゃあ、あのチラシのは見て帰れないんだね」
 亜姫は由生の言葉に頷いた後、少し残念そうに視線を浜の方へ向けた。
由生「チラシ?」
亜姫「うん、チラシ。あそこにあるでしょ?」
 亜姫が指差した方向には看板が有り、確かにチラシらしきものが貼ってある。しかし、それは普通の人の目にはチラシがあると分かる程度で内容までは読めない遠さであった。
由生「あるのは分かるけど、何が書いてあった?」
 由生は亜姫の指差すチラシを見るのを諦め、内容を尋ねる。
亜姫「6時半から港で花火大会って書いてあるんだよ」
由生「ココから家まではバイクで1時間だからなぁ。花火大会を見ていったんじゃ門限破りになるな」
亜姫「そうだよね。やっぱり門限は破っちゃいけないし、花火を見てくのは無理か」
 由生の言葉に亜姫が仕方無しに納得した。
由生「残念だけどね。さ、俺は仮眠取るから悪いけどお喋りはオシマイ。もし、遊びたいなら1人で寝るから海に行ってもイイよ?」
 溜め息と共に花火の話題を終了させた由生は、再び亜姫の腹の方へ顔を向ける。
亜姫「ううん。ココにいる。由生といる方がイイし、枕がある方が寝やすいでしょ?」
 亜姫の手が、乾き始めている由生の髪を撫でた。由生は亜姫の手の動きに懐くように目を細める。
由生「アリガトな。じゃ、遠慮なく」
 目を閉じた由生は眠りでぼやけてくる思考の中で、港の花火大会について再び考えていた。
 1日位ならば、門限を破っても構わないのじゃないか……、いや、その1日だけという考え方がマズイのだ……眠っていく頭の中に2つの思いが交錯する。
 考えながら由生は、亜姫の膝の上で一時の眠りに就いた。

  @花火大会を見ずに門限を守る
  B花火大会を見るため門限を破る