イク姉 〜育ってMy Sister〜 プロローグ



※プロローグ 俺と姉ちゃんのいつもの生活

 3月を迎え日射しはかなり暖かくなってきたが、気温はまだまだ温かいと感じるには遠い。
 それでも植物は随分と春めいていて、梅が咲いてイイ香りが運ばれてきたり、道端の草木が芽吹いて辺りの風景も柔らかくなってきていた。
 自転車を飛ばした時に吹きこんでくる風はかなり冷たくてマフラーが欠かせないが、後1、2週間もすれば本当に暖かい春が来るだろう。
 つぼみはまだ硬そうだが、歩道の桜の木も花を開く時が近いのを知って準備に入っている感じだ。
「今年の花見の時期は晴れると良いなー。去年は雨で、イマイチ盛り上がらなかったし……っと、危ねー……疲れてるんだから、よそ見しない方が良いな……」
 桜の木を見上げていたせいで歩道のヘリに乗り上げそうになった俺、澄田達樹は、慌てて自転車のハンドルを戻す。
 怪我をしては堪らないと、なるべく脇見せずに運転しようと心に言い聞かせて、自転車の速度を少しだけ上げた。
「あー、だけど今回のバイト、まじで疲れたよな〜」
 今週末に大きな出費が控えているため、頑張ってきた短期バイトも今日の昼で終了。
 俺は本日までの疲れのせいでヘロヘロしながら自転車をこいでいたが、手渡しされた給料袋の重みに顔はにやけてしまっていた。
 大型スーパーといえど普段はそこそこ程度の人入りの店だし、そんな所の物産展だから大した仕事量じゃないはず、と思って申し込んだのだが北海道物産展恐るべし。客は朝から晩までひっきりなしで、接客も商品運びもかなりの重労働だった。
 だが盛況だったおかげで残業も追加され、時給から想像していた以上の金額が俺の手元にやってきている。
「これだけあれば、きっとプレゼント買っても金が残るから、俺の物も色々買ったり、遊んだりできそうだな」
 身体は日々の疲れの蓄積で重いが懐の温かさに浮かれてホクホクと家に帰りつけば、我が澄田家の前に見慣れすぎたトラックがやってきていた。
「げ……。姉ちゃん、また何か通販したのかよ……」
 配達のトラックが家の前にやってこない日がないんじゃないかというほど、俺の姉ちゃんである澄田美幸は通販好きである。
 しかも買うのは、効果のほどが怪しそうな商品ばかりで、最近は美容化粧品にご執心なのだ。
 年齢がもうすぐ30だし、夜の仕事をしている訳だから美容に興味が高まるのは仕方ないとは思う。
 でも怪しい商品に手を出さなくちゃマズイほど、姉ちゃんはオバサンに見える訳じゃない、むしろとても若く見られる方のはずだ。
 姉ちゃんは俺と10離れているとは思えないほど、肌もスタイルも髪も綺麗で、この近所で一番、いや俺の知っている中で一番の美人だと考えちゃうくらい見た目は素敵である。
 胸までの黒髪は艶々で天使の輪とか言われる光が見えるし、ちょっと目つきは鋭いけど顔立ちは和風の綺麗系で落ち着いた美しさだ。身内のひいき目をさしひいても、胸は大きいし、ウエストはくびれてるし、足だってかなり長くてしかも細い。
 本当に素敵で色んな人に自慢したいような容姿の姉なのだが、素敵なのは実は見た目だけだ。
 だって姉ちゃんの本質はぐうたらでだらしなくて怠け者で、俺に炊事・洗濯・掃除はもちろん、テレビのリモコンを取るのも、ジュースを運ぶのだって何でも押しつける。
 仕事場では優しい気遣いの出来る綺麗なNo.1らしいが、家の中ではとてもそうは思えないダメ女なのだ。
「達樹、お帰りなさい! 良い所に帰ってきたわね」
 配達員が帰ってから顔を出そうと自転車を降りたのに、姉ちゃんが俺の事を目ざとく見付けて声を張り上げる。
 姉ちゃんは配達員がいるせいで外面を良くしているのか、それとも俺の帰宅タイミングが彼女にとって絶好だったせいなのか、とんでもなく可愛らしいとびきりの笑顔で俺に手を振っていた。 
「た、ただいま、姉ちゃん……」
 悪い予感がよぎり、俺はちょっとひきつった笑みで姉に手を振りかえす。
「達樹、今、お金持ってる? お姉ちゃんのお財布、お家の中にあるから配達員さんを待たせるのも悪いし、ちょっと立て替えてもらえないかな?」
 言葉だけ聞けば断わっても構わないか、払っても後で返してもらえそうな雰囲気だが、こんな状況になって俺は今までに姉から金を返された事は一度だってなかった。
「でも、この金は……」
「ね、お願い」
 手を合わせて小さく首を傾げ、今では俺より15cmも身長の低い姉ちゃんが、キラキラした眼差しで上目遣いに見つめてくる。
 可愛らしくおねだりしているように見えるけれど、これを断ると後でみぞおちに重い一発を喰らうのが確定だ。
「分かったよ……。あの、おいくらですか?」
「7万円になります」
「え!? な、ななまんえんっ!?」
 配達員のサラッと発した言葉に驚き、思わず声がどもる。
「はい、7万円になります」
「そんな、ね、姉ちゃん」
「お願いよ、達樹」
 配達員の復唱にマジで払えというのかと姉を振り返れば、にこやかな笑顔を返された。
「はい……。これ、7万円です」
 この1週間の間、物産展で頑張ってきた給料のほとんどが、あっという間に俺の手元から消えていく。
「……5、6、7……確かにありがとうございます。それでは受け取りにサインを……はい、どうも。ありがとうございました!」
 配達員は金とサインを受け取り、姉ちゃんにティッシュ箱程度の大きさの荷物を渡すと、にこやかに去っていった。
「まさか達樹が7万円も持っているとはね〜。1万円もあれば上々と思ってたのに得したわ〜」
「得ってなんだよ。金、返してくれるんだろ!」
 商品を大事そうに抱えて家の中に入っていく姉ちゃんの後を追って、俺も玄関に入る。
「良いじゃない、別に。弟の物は姉の物、姉の物は姉の物よ。男が細かい事を気にしないの」
 さっきまでの可愛い笑みはどこへやら、姉ちゃんはいつも通りのニヤリとした笑みを浮かべていた。
「7万円は学生の俺にはちっとも細かくねーぞ! クソ、姉ちゃんの誕生日のためにバイトしてきたのに、もう今年の誕生日プレゼント買ってやらないからな!」
「それはそれ、これはこれでお願いします。さーて、今度の商品こそは良い効果、期待しているわよ〜!」
 元々、物産展のバイトは、姉ちゃんへの誕生日プレゼントを買うためにしていた事。
 だから金が無くなっても姉ちゃんのためになる事に消えたのなら仕方ないが、これ以上の出費は流石にキツかった。

   *

 両親が借金を残したまま死んだ10年前、大学をスッパリやめて風俗の世界に飛び込んだ姉ちゃん。
 今では借金も完済、俺の学費をまかなって、更には2人で住むには大きすぎる一軒家も買ってくれて凄く感謝しているんだが、最近とくに扱いが酷かった。
 小さい頃の思い出を辿れば、姉ちゃんと手を繋いで色んな場所へ行った事や、一緒じゃないと安心して眠れなかった事が浮かんでくる。その頃の姉ちゃんは本当に俺を大事にしてくれて、とても可愛がってくれていた。今だってそこまでないがしろにされている訳じゃないが、昔に比べれば格段に扱いは悪くなっている。
 まあでも、俺ももうすぐ20歳で姉ちゃんが色々と背負い込んだのと同い年だ。あの時に姉ちゃんが捨てたモノの重さを思えば、これくらいの姉にかけられる苦労は仕方ない事なのかもしれない。
 思わず諦めの溜息を吐いてしまうと、溜息吐くと幸せ逃げるぞと姉ちゃんが茶化すように俺の背中を叩いてきた。
「また何か化粧品でも買ったのか? 俺は下手に化粧するより薄い方が良い気がするけどなぁ」
 姉が仕事のためにする濃い目の化粧は、まるで別人みたいに見えて昔からあまり好きじゃない。
 今では家でも薄化粧をしているが、俺が小学生の頃は化粧をするのは仕事に出る合図だった。そのせいか化粧の匂いに寂しく過ごす夜の思い出も混ざるのか、俺は姉ちゃんがスッピンでいる方が好きである。
「薄化粧で綺麗に見えるには基礎が大事なのよ。それにこれは化粧品じゃなくて、美容飲料なの」
 リビングのソファーで箱の包みを開け始めた姉ちゃんの手元を覗き込めば、訳の分からない小さな商品がプチプチシートに厳重に包まれていた。
「何それ、スゲー小さいじゃん。そんなんがマジで効果あるのかよ? また何かうさんくさい商品に騙されたんじゃないのか?」
 取りだされたのは姉の手のひらに握りこめてしまいそうな小瓶で、とても7万円の価値があるとは思えない、薄赤色の液体である。
「若返りの魔女の秘薬って呼ばれていて、凄い効果があるって口コミで拡がってる商品なんだって、販売サイトにも大々的に宣伝とか、感謝の声がたくさん書かれていたんだから」
「何か商品も怪しいけど販売サイトも怪しいな……って、姉ちゃん!」
 俺が商品の怪しさについて悩んで目を離したすきに、姉ちゃんはグイっと小瓶の中身を一気飲みしてしまっていた。
「うん、思ったより美味しいわね。何かアセロラのジュースみたいだったわ」
「それ、マジで中身がアセロラジュースとかで、騙されたんじゃないのか?」
 プハッと息を吐いた姉が味に対して満足気に笑うので、きっとまた騙されたのだろうなと思ってしまう。
「そんな事ないもん。達樹のイジワル! 早く昼ごはん作ってよね! それから、夕飯も美味しい物作らないとダメだからね!!」
「え? 姉ちゃん今日は夕飯食べるの? 仕事は?」
「仕事はしばらくお休み〜、マイカちゃん生理休暇なの〜」
 この時間にいるから今日は遅番なのだろうと思っていたら、姉ちゃんは本名の美幸でなく源氏名のマイカを持ちだして唇を尖らせた。
「生理休暇って、姉ちゃん先々週に風邪ひいて休んでた時に終わってるだろ」
「きゃー、ヤダー。ナンで、達樹ってば、そんなコト知ってるのヨー」
 それはもう見事なまでの棒読みで俺を責める姉の声。確実に俺をからかっているのが分かる声音だった。
「姉ちゃんの下着含めて洗濯しているのが俺だし、汚物入れのゴミを捨ててるのも俺だからだよ……」
 姉ちゃんの事は好きだし、色々知りたいとは思ってはいるけれど、別にここまで肉体に密接した情報は知らない方が夢がある気がする。
 姉弟で近過ぎる関係というのも問題があるものだ。
 でも、姉弟だから好きになり過ぎて色々したくなっても困るし、姉ちゃんの嫌な部分とか知らなくても良いような事まで分かるのはちょうど良い気もしている。
 もし姉ちゃんが俺にワガママなんて言わなくて、暴力的な所が欠片も無くて、押し倒しても受け入れてくれそうな人だったら違った今があったはずだ。……いや、きっとそれはそれで、罪悪感が先に立って出来なかっただろう。
 まあどうせ、俺がいくら姉ちゃんの事が好きでも、姉ちゃんが仕事であれば簡単に足を開く人でも、俺らの間に何かなんて起こらないのだ。
 そしてそれが、姉弟として正しい事なのである。
「達樹が焦らなくてツマんな〜い。昔なら色々焦ったりして可愛かったのになぁ」
 姉ちゃんは俺の反応が良くないと文句を言いながら、ベッタリと背中に抱きついてきた。
 ギュッと抱きつかれれば、弾力のある大きな胸がふっくらと柔らかく温かく俺の背中を押してくる。
 着ているシャツもブラジャーも薄手なのか、粒のしっかりした乳首の感触が俺の肌を押しているのが分かって、胸はドキドキするし、今にも勃起してしまいそうだった。
 しかも姉ちゃんからは石鹸とシャンプーのイイ匂いもしていて、思わず振り返ってこちらから抱きしめて、その香りを堪能したい衝動まで疼いてくる。
 楽しそうに抱きついてくる姉ちゃんには、きっと俺の抱いている葛藤なんて微塵も伝わっていないのだ。
 姉ちゃんは俺が性欲を持て余している事なんて知らずに、恥ずかしがるのをからかってやろうくらいの気持ちでグリグリと乳房を押し付けてきているのだろう。
「まあ俺も姉ちゃんの弟を20年近くやってるからな、慣れもするさ」
 俺は衝動を押し隠し、照れる素振りも見せず、何食わぬ風を装って姉ちゃんの腕から抜け出してから、ひきつらないよう気を付けて笑った。
「お、なかなか言うな。ま、たまには良いでしょ、休んでもさ。誕生日の前後3日くらい」
「あのさ、姉ちゃん……。1週間とかの休みじゃなくて、俺も4月には20歳になるし、辞めたいなら仕事辞めたって……」
 借金を返すため、2人で快適に暮らしていくため、俺を不自由なく学校に行かせるため、そしてこの家を買う資金のためにずっと続けてきた夜の仕事。姉ちゃんはここ10年、家や俺のために身を犠牲にして働いてきたわけだ。
 姉ちゃんが辛いのなら大学を辞めて、今度は俺が働く番だと頑張るのも一つの道だろう。
 たまに俺の小遣いやバイト代を姉ちゃんにかすめとられてはいるが、授業料も食費も家の購入費も、ほとんど全ての家計にかかる金が姉の働きから出た金で賄われているのだ。
「別に辞めたい訳じゃないの。今は達樹が春休みで大学も休みでしょ。達樹の入った大学ってすっごく授業が忙しいし、それで私が仕事に行ってるとすれ違いばっかになって、あんまりちゃんと一緒にいられないじゃない。だから、たまには2人の休みを合わせて、どっか遊びに行ったりしたいと思っただけよ。それにこの1週分を休んだら、また来週からバリバリ頑張るもの! 私、家を建てるだけじゃなくて、マンション建てられるくらいの金額まで稼いで、家賃収入で左うちわ狙ってるんだから!!」
 グッとこぶしを握って夢を語った姉ちゃんだが、その直後に大きく腹の音が鳴る。
「ヘヘッ、力入ったら、余計にお腹空いちゃったみたい」
「まぁ身体壊さない程度に頑張れよ。とにかく俺は、頑張る姉ちゃんを飢えさせないために早く昼飯を作るな」
「お願いします」
 手を合わせて拝んでくる姉に笑って、俺はバイトで疲れた体を叱咤しながら昼食の準備のためキッチンへ向かった。



1日目
2日目
3日目
エピローグ